自己決定権をわかりやすく

自己決定権とは

自分で自分のことを決めることができる権利(=自由)

つまり、「人権」そのものです。

自己決定権は日本国憲法が主なものを具体化している。

EX)信教の自由(憲法20条)、表現の自由(憲法21条)、学問の自由(憲法23条)

憲法が具体化していない自己決定権があるのではないか。

→憲法13条「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

憲法が具現化していない「自己決定権」はこの条文により保証される場合がある。(補充的保障という)

具体化しているものが先で、憲法13条が最後になる。

憲法13条が保障する自己決定権

憲法13条が保障する例を見てみましょう。

1)危険行為…冬山登山の自由

 冬山登山は遭難などの危険が伴います。さらに、遭難した場合捜索、救助の手間を借りる可能性があります。これは人に迷惑をかけかねないということで、自己決定をどこ目で認めてよいのかが問題になってきます。

2)生と死…妊娠中絶

 アメリカで主に議論されています。女性が自ら妊娠した胎児を中絶することができるのかということで、是非が問われています。

3)ライフスタイル…髪型の自由

 1)2)のような極端なものではなく、普段の生活に関するものです。学校の校則がライフスタイルの自己決定を侵しているのではないかという問題もあります。

1)危険行為の自己決定権

 シートベルト・ヘルメットの着用義務付けは道路交通法で定められたものです。ですが、仮につけないで事故に遭った場合、本人がけがをしたとしても本人の責任であり、裏返すと、ひとから強制されなくてもよいのではないかという問題が出てきます。つまり、この強制は自己決定権を侵害しているのではないかということは可能です。

しかし、ここで注意しておきたいのが、シートベルト・ヘルメットを着けることのみで考えてはいけないのです。シートベルト・ヘルメットを着けるという行為は自動車またはバイクを運転するという行為と密接にかかわってきます。つまり、シートベルト・ヘルメットの着用の義務付けが自己決定権の侵害に当たるかはこの運転行為がそもそも自己決定権の問題として考えていいのかを考える必要があります。

では、運転行為はそもそも人権として保障されるべき行為なのでしょうか。結論から言うと、人権保障に値しません。運転する行為とは鉄の塊を何十キロのスピードで動かす行為です。これは常に人命にかかわる危険性をはらんでいます。そのため、運転免許制度を採用しています。この制度では、危険性を鑑みて運転行為を一律で禁止しています。そのうえで運転する技術を持ったものに運転免許を与えてこの禁止を部分的に解除しているのです。

では、人権保障に値しない運転行為とシートベルト着用の関係を見てみましょう。一言でいうと、これは本来認めてもらえない危険行為を認めてもらうための取引をしていると考えることができます。本来認めてもらえない行為を認めてもらうためにシートベルト等を着用する自己決定権を自己的に放棄してその代わりに免許をもらっているとうことです。

結論。シートベルト・ヘルメット着用は自己決定権の問題とみることができますが、危険行為を認めてもらうために自己決定権を自主的に差し出しています。

人権侵害とは本来できる行為を国・自治体が制限することを指します。この例の場合この逆が当てはまります。本来できないことをしてもらいます。そのために、免許が欲しい。しかし、この免許を上げるためには条件を与えている。この条件がシートベルト・ヘルメット着用の自己決定権の放棄といえます。よって、シートベルト・ヘルメット着用の義務は人権侵害とは言えません。

2)生と死に関する自己決定権

有名な事件に「エホバの証人輸血拒否事件」です。

エホバの証人→キリスト教の一派、宗教的信念から輸血や格闘技を拒否(原告)

東大附属病院→できるだけ輸血をしないで手術を行う方針しかし、命に関わる場合は輸血をやむおえず行う場合がある。(被告)

→輸血を予告しないまま、手術中に原告に輸血を行う

原告が手術後、「なぜ輸血をしたんだ」

「どう生きるかという自己決定権の侵害ではないか」と裁判を起こした。この裁判は一審と二審とで判定が分かれました。最高裁判所ではどのように判断したのでしょうか。

最高裁判所では原告勝訴=障害賠償請求を認めました。判断の理由は以下です。

  • 輸血を拒否するという強い宗教的信念は法的保護に値する。
  • 被告が場合によっては輸血するという方針を説明しないまま手術・輸血を行ったことは原告が手術を受けるべきか否かを選択する機会を失わせることになり違法

しかし、命を最優先にした病院側を責めるのはおかしいのではないかと思う人もいると思います。病院側は何を考える必要があったのでしょうか。もう少し掘り下げてみてみましょう。

無輸血手術の希望は殺人・自殺援助という問題ではなく宗教的な生き方(どのように生きるか)の問題です。医師は無輸血手術(自分ができない手術)を行う義務を負いません。自信がなければ治療を断るしかありません。さらに医師は患者に対等の人間として接しなければいけません。無輸血手術のリスク、転院の可能性について説明を尽くしそのうえで患者の意思を尊重する必要があります。(インフォームド・コンセント)

病院側は以上のことを主張する必要がありました。

3)ライフスタイルに関する自己決定権

同性婚問題

現在日本では認められていません。2015年アメリカ連邦最高裁判所の判決を紹介します。個人の尊厳・法の下の平等に照らして、同性愛者にも婚姻の権利が保障され、全米で同性婚が合法化しました。では、今後日本でも合法化されるのか見てみましょう。

日本国憲法24条1項によると、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。とされています。

これによると、あくまで異性婚を想定しているが、同性婚を禁止しているわけではないようです。同性婚の合法化の余地を残しているとも読み取れます。しかし、ここで触れるべき問題があります。それは「婚姻とはそもそもなんなのか」というものです。婚姻は婚姻届けを出すと成立します。日本においての婚姻は特定の人間関係の社会的承認を指します。そのため、逆に言うと、同性婚を日本で可能にさせるには日本社会における同性婚の評価が必要になることがわかります。

まとめ

自己決定権とはその人らしく個人として生きることのできる権利(自由)単なるわがままとは異なる。

他者の権利・自由との調整が必要

harukata

「大学では何をするんだろう?」「実際の授業はどんなの?」と思っている方のために大学の授業内容や、現役大学生に向けて、知っておくべき社会の問題などを主に紹介しています!将来に少しでも不安を感じている方の力になれれば幸いです。

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