増税してるのに借金があるのはどうして?

 オイルショック以降、所得税、法人税、消費税などの基幹税を純増税できたことが何回あるか、皆さんは知っていますか。ここでいう純増税とは、そのほかの税を減税したとしても全体の総額で増税することを目的として行われた税制改革を指しています。

 2014年に消費税率を8%に引き上げたこの増税は、実は1981年法人増税以来の純増税でした。ここで注意しておきたいのが1989年に消費税が導入されたとき、97年にその税率が3%から5%へと引き上げられたときは違うということです。消費税が導入されたときは所得税と法人税の引き下げがセットでしたから、全体としては減税になっていました。また、1997年の消費増税は94年以降行われてきた所得減税の穴埋めのために行われたものでした。1980年代を振り返ってみても84年に大規模な法人増税が実施されましたが、この時も所得減税とセットでの増税でした。ちなみにさらにその前、1974年の法人増税も大規模な所得減税と組み合わせて行われたものでした。

 つまり、日本は減税のために増税を繰り返すという先進国の中でも不思議な財政運営をしているのです。33年間にわたって純増税が行われなかったのですから政府の借金が膨らんでしまうのも当然のことでしょう。

税の徴収と勤労国家

 こうなってくると日本はどうして税の徴収がうまくいかないのかという疑問が出てきます。この問いに答えるために、勤労国家について考える必要があります。

 高度経済成長期(1955~73年)、自民党は党を立ち上げたときの目標の一つに「福祉国家の完成」を挙げていました。岸信介政権は社会保険料を払えば、だれもが医療や年金を受けることのできる仕組み「国民皆保険・皆年金」を先進国の中でも比較テク早く整え、続く池田勇人政権の1961年に運用が始まりました。日本はヨーロッパのような福祉国家に向けて多くな一歩を踏み出したかのように思えました。しかし、池田さんは『均衡財政』という本で、「救済資金を出して貧乏人を救うんだという考え方」よりも「立ち上がらせてやるという考え方」が大事だと述べています。そして、「人間の勤労の能率を良くし、生産性を高める」公共投資と、「勤労者に対する」所得税の減税、つまり、勤労する人たちのための政策を財政の中心に据えました。多くの日本人は、貧しくても政府や社会に助けを求めるのではなく勤労に励んで自分で生きていくことが大切だと考えていました。だからこそ、働くチャンスを与える公共投資が大切だと池田さんも考え、勤労によって払われた税金は所得税の減税を通じてまじめに働いた労働者の手に戻すことが望ましいとされました。この中で池田勇人首相は租税負担率を20%以下に抑えることを目指していました。高度経済成長期には原則として借金をせずに予算が作られていました。ですから、租税負担率が20%以下に抑えられれば、財政を大きくしていったヨーロッパとは違い、財政の総額が経済に対して一定の大きさになります。大蔵省出身の池田さんらしいアイデアです。

池田さんが租税負担率を20%以下にこだわった理由は、社会保障の充実よりも勤労者に税を返すことを優先したことのほかにもう一つあります。税の公平性の問題です。

税の公平性とは

 戦後の日本の税の中心は累進所得税でした。「累進性」とは所得が増えるとその分、税の負担率が上がっていく性質のことを指します。ここで重要なのは戦時中に効率的に税金を集めるために「源泉徴収」という制度が取り入れられていたことです。源泉徴収制度とは、会社が給料を支払うときに所得税を先に取ってしまい、それを直接税務署に収める仕組みです。これによって自分で所得の申告を行っていた自営業者や農家などの個人事業主と違って、会社に勤める勤労者はほぼ確実に所得を捕まえられ、税金を取られることとなりました。経済の成長が明らかになるにつれ、次第に勤労所得は個人事業主所得をうわ回るようになっていきました。そして累進所得税の下で所得が毎年増えていく会社勤めの人たちにとって税の負担感がとても大きなものとなりました。このような問題があったからこそ、職種の間の税の負担の公平性を取り戻そうと池田さんはできる限り会社で働く人たちの負担を軽くするように努力したのです。

ヨーロッパの国々では、所得が上がることで年々増えていった累進所得税の税収を使って社会インフラや社会保障、教育などを充実させていきました。一方で日本は、税収を国民に返し、貯金が増えるようにして、自分の手で生活を維持していく仕組みを作りました。このうちの郵便局に預けられたお金を利用して、政府は税金を集めずに社会インフラを整えていったのです。ここが大きなポイントとなります。日本人は増税をしなくても社会インフラの整備がされた環境で過ごしていたのです。

 オイルショック以降の時期になると、日本の経済はそれまでのような高い成長率を維持できなくなりました。こうして毎年続けられた減税はストップします。ここで大きな問題が生じました。所得税は当然かえって来るものだと思っていた納税者に対し、政治家は所得税の増税を言い出すことができなかったのです。加えて、1970年代の当時、勤労者の税負担の重たさはいよいよ大きな問題となっていました。会社に勤める勤労者は、源泉徴収制度によって所得を9割税務署に捕まえられていました。しかし、自営業は6割、農家に至っては4割です。そんなクロヨン問題が巻き起こりました。一方、1970年代には少しずつ財政状況が厳しくなっていきました。とくに、70年代の後半、福田政権期に財政状況が非常に悪くなったことは有名です。財政を健全化するにはどうしても増税が避けられないと考えられていました。所得税の増税が難しく、負担の不公平感も強まるなか、財政を健全化するために新しく導入されようとしたのが消費税です。消費税であれば、どのような職業であろうと、同じ消費には同じ税率がかかりますから、サラリーマンの目には累進所得税よりも公平な税と映ったのでした。ところが福田政権のあと大平政権、そして中曽根政権ではともに消費税の導入に失敗しました。

 政治家は景気が悪くなると、納税者に人気のある所得税の減税を行おうとしました。しかし、大蔵省は財政赤字の総額をできるだけ抑え込むために、別の税を増税して、所得減税の財源に充てようと考えました。所得税の増税もできない、消費税の導入もできない、そんな政府が目を付けたのが法人税です。1974、81、84年と企業は相次いで大規模な増税を求められました。減税や財政健全化のたびに狙い撃ちにされた経済界はたまったものではありません。そこで増税をして財政赤字を減らしたり、社会保障やサービスの充実を行ったりするのではなく、政府の無駄をなくして租税負担率を軽くすることを求めるようになりました。

 1980年代は戦後初めての「財政再建期」でした。しかし、そこでは増税による財政健全化ではなく、支出の削減と国営企業の民営化による財政健全化が選ばれました。1990年代に入ると、バブル崩壊後の景気の伸び悩みから、再び所得税の減税が行われるようになりました。また、この時期には企業に対する法人減税も一緒に行われました。1990年代の10年間での減税回数は所得税だけで6回に達し、租税負担率も27.7%から23.5%にさがりました。合わせて巨額の公共投資も行われました。政府の借金が急増したのは当然のことだったのです。勤労国家において所得減税と大規模な公共投資は必要なものですが、その財源が借金だったのです。

 1989年に導入された消費税は税収を増やすことに貢献しました。とはいえ、それはとても所得税や法人税の減税の穴を埋められる規模ではありませんでした。また、それ以前に増税によってサービスを豊かにするという話ではなく、借金のために増税が行われたのでした。

まとめ

 上で紹介したように、戦後の日本はほかの国々とは違って増税によって人々の生活を支える仕組みを作った経験がないまま、政府債務を生み出してしまったのです。

harukata

「大学では何をするんだろう?」「実際の授業はどんなの?」と思っている方のために大学の授業内容や、現役大学生に向けて、知っておくべき社会の問題などを主に紹介しています!将来に少しでも不安を感じている方の力になれれば幸いです。

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